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zoom RSS 言葉について思うこと

<<   作成日時 : 2008/11/17 00:11   >>

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なぜ、わざわざ学校で国語を学ばなくてはいけないか

中学生「なぜ、わざわざ学校で国語を学ばないといけないの?」

言葉はその成り立ちと経緯から色々な表現が産まれるので、それを知ってさらに使うことで、言葉の用法用途や表現力が深まる。
その色々な表現を得て自家薬籠中のものとして使いこなしてこそが、言葉を使えたということになる。

いわば、日常会話が出来る程度ってのは、英会話の「日常会話程度」レベルでしかない。
言葉を使って日常以外を語ろうとする時に、「日常会話程度」レベルでは、不足したり無理な言い回しを使ったり間違った使い方をしてしまうわけだ。

平易に語る=「日常会話程度」というものでもない。
多くを得て、その選択肢から、言葉の豊穣が産まれる。
陳腐で簡単なだけの言葉しか使えないのであれば、それは言葉の使い方としては片手落ちであり不足するんだな。

そういった当たり前のことを、なぜか

>正しい国語を学べぬ限り、正しいコミュニケーションはできない。
>正しいコミュニケーションができなければ、社会人生活に支障をきたす。
>だから国語は重要な教科

とか言っているのは、問題があると思うんだな。

コミュニケーションの前提としては、言語はどの言語でもよいわけなんだな。
より高度をより精緻かつ正確に語るためには、その語るのに用いる言語についての知識が必要であり、日常の家庭での言語の習得ではそれが足りないということなんだ。

じゃ、英会話を実際に実務レベルまでやればいいじゃん..とか言うのが出てくるかもしれないが、「母語で出来ないものを英語で出来ると?」とね。
言語は脳に影響するし、言語を使えるレベルで脳での考えが出来上がるんだ。
つまり、「高度なことを考えるのに、頭は言葉で考える」わけだ。
その頭で考える上での道具がまともに使えないのであれば、「実務レベル?へぇ?頭使えるの?」ってことになっちゃうわけなんだよね。

道具としての言葉の使い方は、色々あるわけで、それは相手を貶したり褒めたりする時にも、相手に何かを伝える時にも、不特定多数に語る時にも、それなりの用法があるわけで、それらをきっちりと使えないと、最悪達意しないし、詳細が伝わらなかったり誤解がでるわけだ。

わたしは褒めるのも貶すのも注意するのも、適宜の言葉を選びそれを取捨選択し、それについて最適を選ぶ様にしている。
つまりは、程度が低い方に「お前は程度が低い」を「その程度が低い人に合わせて、そのレベルでも理解できるであろう直接直裁な言い回しで言う」とか、「面倒なことを伝えるには、多少の迂遠や冗長があっても達意を前提とする」といったことを心がけるし、それなりに言葉について学んだ上での収穫を使っているわけなんだな。


そういった使い分け/言葉の取捨選択や並びを整えるといったことが出来る様に学ばないと、「日常会話レベル」で一生を過ごしてしまうわけなんですね。
慣性走行とか祭日とか、ちゃんとした言葉の背景を理解しないで、糞味噌一緒くたなのが「平易で判りやすい」という馬鹿げた妄想は捨てないと、どんどん言葉の劣化=頭で考えることの劣化=知能の劣化になるってことなんだな。

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